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東京地方裁判所 平成6年(カ)34号 判決 1998年5月01日

主文

一  再審原告(本案被告)の再審請求を棄却する。

二  再審費用は再審原告(本案被告)の負担とする。

理由

【事実及び理由】

以下においては、再審原告(本案被告)を「再審原告」と、再審被告(本案原告)を「再審被告」と表記する。

第一  請求

1  原判決を取り消す。

2  再審被告の請求を棄却する。

第二  事案の概要

再審被告は、再審原告及びその亡母(再審事件係属中に死亡。再審原告において承継。)に土地を賃貸していたが、賃料不払いにより借地契約を解除したとして、借地上の建物の収去及び借地の明渡等を求める本案事件を提起し、再審原告らが口頭弁論期日に出頭しなかったことから、全面勝訴の判決を受け、右裁判はまもなく確定した。本件再審事件は、再審原告らにおいて、本案事件の訴状副本の送達以前から原判決正本の送達に至るまで、ともに意思能力を欠いた状態にあり、民事訴訟法附則二二条、旧民事訴訟法四二〇条三号の事由があるとして、再審を求めるものである。なお、再審被告は、共同賃借人である再審原告またはその亡母のいずれかには意思能力が認められるから、その訴訟行為及び再審被告による契約解除等は有効と解するべきで、再審請求は理由がないことに帰するとするほか、再審事由があるとしても、再審原告らとの間の借地契約は、期間満了または再審原告らの用法違反に基づく契約解除によって終了したから、本案事件(再審原告に対しては本件再審事件提起後改めて本案事件の訴状謄本を訴訟代理人に交付して送達した。)についての原判決は正当であるなどと主張し、再審請求の棄却を求めた。

一  再審事件の前提となる事実

1 再審被告は、平成五年四月八日、東京地方裁判所に対し、再審原告及びその亡母である甲野花子(以下「花子」という。)を被告とする建物収去土地明渡等請求事件の訴状を提出した。

右本案事件の請求の趣旨及び理由の要旨は、再審原被告ら間における別紙物件目録一記載の土地(以下「本件土地」という。)についての借地契約を、共同賃借人である再審原告らの賃料不払いにより催告のうえ解除したとして、借地契約の終了に伴う土地明渡請求権に基づき、本件土地上にある同目録二記載の建物(以下「本件建物」という。)の収去及び本件土地の明渡しを求めるとともに、滞納賃料一九三万九二七四円及び契約解除の日の翌日から右明渡済みまで一か月七万三〇三五円の割合による賃料相当損害金の支払を求めるというものである。

2 同裁判所は、平成五年六月二八日に第一回口頭弁論期日を指定したうえ、再審原告らの住所として訴状に記載されていた本件建物に宛てて、再審原告らに対する口頭弁論期日呼出状、訴状副本等を発送し、代々木郵便局から、同年五月一一日に右書類を各受送達者本人に渡したとする郵便送達報告書の提出を受けた。

3 平成五年六月二八日の第一回口頭弁論期日は、再審原告らが出頭しなかったため、再審被告訴訟代理人において訴状を陳述した後、直ちに弁論終結となり、同裁判所は、同年七月五日の第二回口頭弁論期日において、「被告らは、原告に対し、別紙物件目録二記載の建物を収去して同目録一記載の土地を明け渡し、かつ、各自一九三万九二七四円及び平成五年三月一六日から右明渡済みまで一か月金七万三〇三五円の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との請求全部認容の判決(ただし、仮執行宣言については相当でないとしてこれを付けなかった。)を言い渡した。

4 同裁判所は、右判決言渡の日に、再審被告訴訟代理人に対して判決正本を直接交付し、さらに、再審原告らにも送達すべく、本件建物に宛てて判決正本二通を発送し、代々木郵便局から、平成五年七月八日に判決正本を各受送達者本人に渡したとする郵便送達報告書の提出を受けた。

原判決は、再審原告らが控訴しなかったことから、同月二二日の経過をもって確定した(以上の各事実は本案事件の訴訟記録上明らかである)。

5 花子の甥である乙山一郎は、原判決確定後の平成六年一月七日、再審原告を井の頭病院に措置入院させ、同月二六日、東京家庭裁判所に対し、再審原告の禁治産宣告及び花子の準禁治産宣告等を申し立て、同裁判所は、同年八月二九日、再審原告につき禁治産を宣告するとともに、乙山一郎を後見人に選任する旨の審判を下し、右審判はまもなく確定した。

さらに、乙山一郎は、同年一一月一四日、同裁判所に対し、花子について準禁治産ではなく禁治産宣告を求める旨の変更申立書を提出し、同裁判所は、平成八年一〇月二二日に至り、花子につき禁治産を宣告するとともに、乙山一郎を後見人に選任する旨の審判を下し、右審判はまもなく確定した。

二  再審事由に関する当事者の主張

(再審原告)

1 再審原告(昭和九年七月七日生)は、青年期から、自宅の近隣を徘徊しては投石してガラスを割ったり、ペンキで意味不明の言葉を書き殴ったりし、あるいは、自宅では窓を開けて裸同然の格好で大声で独語するなどの異常行動を示し、昭和三三年ころ精神分裂病の診断を受けたものであり、本案事件の訴状副本及び原判決正本の送達を受けた当時、宿病である精神分裂病のため心神喪失の常況にあって、意思能力を有していなかった。

2 花子(明治三八年九月一〇日生)は、その娘である再審原告にみられるとおり、もともと精神分裂病の素因をもっていたものであるところ、平成三年末には陳旧性精神分裂病を発症した。

または、花子は、遅くとも平成二年ころにはアルツハイマー型老年痴呆に罹患し、さらに、平成三年一〇月一九日前後に転倒して骨折したことに伴うせん妄を合併したことから、注意力、判断力、行動力に著しい低下が生じ、妄想も有するようになって、社会生活を営むことが不可能となった。

いずれにせよ、花子は、本案事件の訴状副本及び原判決正本の送達を受けた当時、心神喪失の常況にあって、意思能力を有していなかった。

(再審被告)

1 再審原告は、平成四年一月まで毎月郵送によって賃料を供託し、平成五年一二月まで二か月に一度銀行で預金の払戻を受けて、米やおかずなどを購入して生活を続けてきたのであり、少なくとも、花子と同居して従来からの変わらない生活環境のもとにおいては法律行為をなし得る能力を有していたと考えられる。

また、仮に再審原告に意思能力がなかったとしても、後記のとおり花子は意思能力を有するものというべきところ、花子は、再審原告が意思能力を有していない場合には、同女の母親として本来法定代理人たる地位につくはずだったのであり、そのような花子に訴状副本及び原判決正本が送達されている以上、再審原告に対する手続保障は十分尽くされており、右の送達は有効と解するべきである。

2 花子は、再審原告が依拠する和田鑑定によっても、意識障害がなければ意思能力を完全に備えていたものであるところ、意識障害の契機となったかのようにいわれる骨折の事実、ひいては意識障害の存在は疑わしいものであるし、少なくとも、本案事件の訴状副本及び原判決の送達を受けた当時、右の意識障害下にあったとまでは認められないから、意思能力がなかったとはいえない。

三  本案事件の前提となる事実(文末の括弧内は認定に用いた証拠等)

1 亡光山源之亟は、昭和一六年七月一八日、亡甲野太郎との間で、本件土地について、自らを賃貸人、太郎を賃借人とし、賃料を月額二三円五四銭とする非堅固建物所有目的の借地契約(以下「本件契約」という。)を締結し、亡甲野太郎は、本件契約に基づき、本件土地の引渡しを受けて、同土地上に本件建物を建築した(争いがない)。

2 亡光山源之亟は、昭和二三年九月一日死亡し、亡光山常吉が本件契約上の賃貸人たる地位を相続により取得し、さらに亡光山常吉が平成二年五月二〇日死亡したことから、同人の妻である再審被告が、右地位を相続により取得した(争いがない)。

3 亡甲野太郎は、昭和三四年一一月一七日死亡し、その妻である花子及び子である再審原告が本件契約上の賃借人たる地位を相続により取得した(争いがない)。

4 再審原告らは、亡光山常吉ないし再審被告から昭和四八年四月分以降数次にわたって賃料増額を通告され、通告どおりの増額を拒絶し、昭和四八年四月から月額一万一三五五円、昭和五二年四月から月額一万八五〇〇円、昭和六〇年四月から月額二万二二〇五円、平成二年四月から月額二万二四三〇円を供託してきたが、平成四年一月二八日に平成三年一二月分の賃料として二万二四三〇円を供託した後、賃料の支払も供託もしなくなった(争いがない)。

5 再審被告は、平成五年三月八日に到達した内容証明郵便をもって、再審原告らに対し、平成四年一月一日から平成五年二月二八日までの賃料を書面到達後七日以内に支払うよう催告するとともに、その支払のないときには本件契約を解除する旨の意思を表示したが、同年三月一五日は賃料支払のないまま経過した(争いがない)。

6 乙山一郎は、未だ再審原告らにつき禁治産宣告がなされてなかった平成六年四月六日、再審原告らの「特別代理人」と称し、再審被告に対し、滞納賃料として合計二八八万九〇〇〇円を送金し、以後、月額七万三〇三五円を相当賃料として送金しており、再審被告は、これを本件契約解除前の賃料及び解除後の賃料相当損害金に充当する旨を乙山一郎ないし再審原告らに告げて受領している。

7 花子は、平成九年一月一四日死亡し、その地位を再審原告が相続した。

四  本案事件に関する当事者の主張

(再審被告)

1 前記のとおり、少なくとも、花子は本案事件の当時に意思能力がなかったとはいえず、これに先立つ賃料の催告、本件契約の解除を受けた際にも、意思能力がなかったとはいえない。

したがって、再審被告がなした催告、解除は有効であり、原判決は、正当である。

2 しからずとも、再審被告がなした本件契約解除の意思表示は、当然に、平成三年一一月一七日の経過によって期間が満了した本件契約の法定更新についての遅滞なき異議を含むものである。

また、右遅滞なき異議を受けた時点で再審原告及び花子が意思能力を欠いていたとしても、再審被告は、平成九年一二月一五日付準備書面をもって、再審原告に対し、改めて法定更新に異議がある旨を述べ、右準備書面は右期日までに再審原告に到達した。

なお、右の異議は、意思表示の相手である再審原告に従前法定代理人が存しなかったこと、再審原告らの意思能力の有無を争点として再審請求事件が係属中であったこと、契約締結時から五五年以上を経過していること、及び、契約当初の当事者がいずれも死亡していることなどを考え合わせれば、遅滞がないというべきである。

しかるところ、精神分裂病により入院中であるという再審原告には、今後本件土地を使用する必要性が全くないこと、本件契約上、更新料の授受はなく、契約締結後五五年以上の経過によって、再審原告側の投下資本は十分に回収されていること、本件建物が朽廃に近い状態にあること、再審原告側は二〇年以上の永きにわたって賃料の供託を継続し、再審原告ら自身が賃料の支払を怠ったのはもとより、後見人である乙山一郎も、賃料滞納の事実を平成五年一二月に知りながら四か月以上支払わなかったこと、後記のとおり、再審原告ないしその後見人である乙山一郎に用法違反がみられることなどの諸事情に照らし、右の更新拒絶には正当な事由がある。

3 本件契約においては、賃貸人の許諾なしに本件土地の用法または原状を変更することはできず、これに違反した場合本件契約を無催告で解除できる旨が定められている。

しかるに、再審原告ないしその後見人乙山一郎は、再審被告の許諾なしに、本件土地の一部を駐車場として造成した。

そこで、再審被告は、前記準備書面をもって、再審原告に対し、右の原状不変更特約違反を理由に本件契約を解除する旨の意思表示をした。

なお、本件契約上の信頼関係を破壊する事情が存在することについては、法定更新拒絶における正当事由に関して述べたとおりである。

(再審原告)

1 前記のとおり、再審原告及び花子は、再審被告から賃料の催告、本件契約解除の意思表示を受けた当時、意思能力を有していなかった。

したがって、右の解除は無効である。

2 更新拒絶に正当事由があるとの再審被告の主張は否認ないし争う。

3 原状不変更特約違反があるとの再審被告の主張は否認ないし争う。乙山一郎は、本件土地に乗用車が駐車できるようにしたにすぎず、駐車場の造成という程のものではない。

第三  当裁判所の判断

一  前記再審事件の前提となる事実第5項に加え、《証拠略》によれば、再審原告(昭和九年七月七日生)は、昭和三二年ころ、精神分裂病を発症し、昭和五〇年ころまでは、執拗に「妨害電話に乗らないで下さい」などと認めた葉書を結婚相談所に送ったり、らい、梅毒及び結核を否定する診断書を大量に取り寄せるなど、幻覚、妄想を主徴としてこれに基づく活発な行動化を示したが、以後、自宅を訪れる者は誰であれ無視するか罵声を浴びせて追い返すなど、幻覚、妄想等の病的体験を残したまま、無為、自閉、思考認知障害、疎通性の低下、現実検討力の低下、社会性の喪失を主体とする症状を呈するようになり、昭和六〇年ころには、ほぼ病状が完成、固定化し、分裂病人格解体が相当進行した荒廃状態に至ったものであり、再審被告から賃料の催告を受けてから原判決正本の送達を受けるまで、一貫して、社会一般常識的な理解力、判断力を欠いた心神喪失状態にあり、法律行為及び訴訟行為についての意思能力を有していなかったものと認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

二1  前記再審事件の前提となる事実第5項、《証拠略》によれば、花子は、大学卒で就職歴もあり、それなりの社会生活を送ってきたものであるのに、平成六年一二月、花子の禁治産宣告申立事件の鑑定人が実施したWAIS--R検査(七四歳換算)では、言語性九七、動作性八四、総合九〇と、従前からは低下したと思われる検査結果を示し、さらに、本件の鑑定人和田秀樹が鑑定のための諸検査を実施した平成八年八月の時点においては、簡単な知能テストに応ずることもできず、言語機能も単語レベルでのコミュニケーションは可能という程度に止まり、重度のアルツハイマー型老年痴呆の状態にあったことが認められる。

そして、《証拠略》によれば、花子は、賃料を支払うに十分な預貯金を有しながら、平成二年五月から、従前ほぼ支払期に行ってきた賃料の供託を遅らせるようになったものと認められ、このような事実と和田鑑定を総合すれば、アルツハイマー型老年痴呆の発症時期は、遅くとも平成二年のころであると推認できる。 もっとも、前記のWAIS--R検査の結果に照らせば、花子のアルツハイマー型老年痴呆は、発症後、少なくとも右の検査時である平成六年一二月に至るまでは、それ自体としては、軽度なものに止まっていたものと考えるのが相当である。

2  ところで、《証拠略》によれば、花子は、平成三年の終わりころ、転倒して、おそらくは骨折によって、歩行不可能な状態に陥ったものと認められるところ、《証拠略》によれば、花子は、前記のアルツハイマー型老年痴呆に加え、同居していた再審原告の影響下に物事を妄想的に曲解する可能性が強い状態に置かれて判断力を一層低下させ、のみならず、右の運動困難性等によってせん妄を併発させ、以後、平成六年八月に桜ヶ丘記念病院に入院して向精神薬の投与を受けるようになるまで、右のせん妄は繰り返されたものと認定するのが相当であり、右認定を覆すに足りる証拠はない。

3  しかるところ、再審原告は、花子が右のアルツハイマー型老年痴呆とせん妄とを合併したことから、賃料の催告、本件契約解除の意思表示、さらには、本案事件の訴状副本及び原判決正本の送達を受けた当時、心神喪失の常況にあって、意思能力を有していなかったと主張する。

しかしながら、意思能力の有無は、行為の毎に判断すべきものであり、必神喪失の常況にあり、禁治産宣告を受け得る状態にある者であっても、未だ禁治産宣告を受けていないのであれば、一時的に必神喪失状態から脱した際になした行為の効力は否定し得ないのであり、行為当時の具体的状況を問うことなく、心神喪失の常況にある者の法律行為等について常に意思能力の欠缺を認定し得るかのようにいう再審原告の主張は採用できない。

また、本件で問題となる前記の訴訟行為及び法律行為は、いずれも受動的なものであり、かつ書面の受領によってなされたものであるから、花子が一時的にせよ心神喪失状態から脱することがあれば、その時点で花子の支配可能領域に入ったものとして行為の有効性を認めるべきである(ちなみに、《証拠略》によれば、少なくとも本案事件の再審原告及び花子宛の各訴状副本及び原判決正本は、平成六年六月の時点においてもなお本件建物内にあったことが認められる。)。

4  このような観点から検討するに、和田鑑定によれば、花子は、アルツハイマー型老年痴呆の発症後平成六年八月に桜ヶ丘病院に入院するまでの間、前記のせん妄等の意識障害の発生時には、これとアルツハイマー型老年痴呆とが相俟って、注意力、判断力、行動力を著しく低下させ、社会生活を営むことがほぼ不可能な状態にあり、しかも、骨折による疼痛や生活力の低下による栄養障害の影響下に、右のような意識障害が比較的長く続いたではあろうものの、清明状態あるいは軽度な意識障害状態に復することが全くなかったわけではなく、意識障害と清明とを繰り返し、清明時には、軽度のアルツハイマー型老年痴呆による性格破綻、人格変化、記銘力障害、判断力の低下、不注意等の症状を呈するに止まったものと認められる。

また、そうであるからこそ、花子は、せん妄を生じるようになってからも、二年間にわたって再審原告と二人きりで生活することができ、乙山一郎においても、再審原告らの異常に気づいた後、再審原告については禁治産宣告を申し立てながら、花子については当初準禁治産宣告を申し立てるに止めたものと思料されるのである。

5  なお、再審原告主張の花子の陳旧性精神分裂病については、これを窺わせる証拠がない。

三  以上によれば、花子は、仮に、本案事件の訴状副本及び原判決正本の送達を受けた正にその瞬間には意識障害下にあったとしても、まもなくこれから脱して意思能力を有する状態で訴状副本等を受領したものと認定することができるのであり、原判決については、少なくとも花子の関係では再審の事由がないというべきである。

そうすると、再審原告は、花子の地位を相続したものであるから、自らの関係で再審の事由があるかどうかにかかわりなく、花子及び再審原告に対して同一の給付を命じた原判決は、結論において正当といわざるを得ない。

四  よって、主文のとおり判決する。

(裁判官 石橋俊一)

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